2026年3月22日、吾嬬の里で開催された「関東大震災 朝鮮人・中国人虐殺事件の虐殺証言を聞く会」に参加してきました。会場には20名以上の人々が集まり、当時の記憶を辿る貴重な時間となりました。
当日は録音禁止であったため、このレポートは会場で共有された当時の録音資料を元にした、私の個人のメモに基づくものです。

1983年、韓国への証言調査
関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会は、1983年の8月末から9月末にかけて韓国での調査を行いました。日本国内では当時の証言を得ることが困難だったためです。震災当時、日本にいた朝鮮人は約1万5000人といわれていますが、その半分近くが虐殺されたという背景があります。
1983年に西崎氏と下島氏がソウルを中心に訪問し、全部で9名に接触、うち6名の証言を得ました。1982年の夏はちょうど教科書問題があった時期です。新聞記者に現地を案内してもらった際、「韓国に帰れたのは留学生だけ。震災のときに労働者はみんな殺された」という言葉を突きつけられたといいます。
録音資料より:語り継がれる証言の断片
以下、当日の録音を聞きながら書き留めた証言の記録です。
1人目の証言者:Kさん(労働者・「突破(トッパ)」)
- 労働運動に関わっており、「突破」と呼ばれていた。
- 淀橋警察署で拷問を受けた。話してる最中に熱くなると韓国語が出る。
- 淀橋警察署の松本主任にやられた。警察署はバリケードが張られて塔のような施設だった。
- 警視庁の前の足元で、青年団・自警団に竹槍をぶっ刺された。それは子供に対しても同じだった。
- 「K・突破」と呼ばれていた。「殺さないで」と言ったので、殺されはしなかった。
- 朝鮮人が80名ほど。ビラや立て看板を見て流言が広まった。すごい傷の人たちがたくさんいた。
- 警察署内では、梅干しを入れた玄米を食べた。口が大きいから一口で平らげてしまった。一食はその玄米のおにぎり1つだった。
- 血を取られた。父親が「死ぬな」となだめてくれた。
- 本人は一生懸命話してるが、怒りが湧いてきて韓国語になってしまう。喫茶店で話した。
- 60日間収容されていて、拷問がなかったのは3日だけ。窓の外を見たら同胞が竹槍で刺されていた。
- 釈放されてから、日本の若い人を捕まえて「虐殺しているか」聞いて殴るということを行った。淀橋警察署の松本への恨み。日韓条約の時に大使館に乗り込んだ。
2人目の証言者:Hさん(留学生・クリスチャン)
- 日本語が上手だった。帰ろうとすると竹槍を持った日本人がやってきた。
- 青年会の人が回りながら「支那人が泥棒をしてるから気をつけてください」と言っていた。
- お巡りさんと顔馴染みだったので助かったが、お巡りさんと一緒にいた人は(Hさんを助けたことに)腹を立てていた。
- 駒込の警察へ。たくさんの韓国人、間違われて連行された日本人、中国人もいた。
- 尖った(抵抗する)韓国人は道場に連れて行かれた。暑くて眠れない。
- 朝になると顔馴染みの刑事が来て「君も来たか。間違いだから出てこい」と言われ、出されてパンを食べさせてもらえた。
- 近くの教会の牧師が尋ねてきて「君たちのことは周りに話しておく。でもじっとしておけ」と言われ、1週間ずっとじっとしていた。
- 生まれつきの平和主義者。留学生という恵まれた立場の人だった。
3人目の証言者:Kさん(東洋音楽学校 下宿生)
- 日本語が喋れた。食べ物はなく、握り飯。縄を張って並ばせて配られた。
- 9月2日、夜を通して「朝鮮人の野郎」と声が聞こえた。
- 前の前の人が朝鮮人労働者に対して、白状させるような問い(名前や日本の良いところなど)をされていた。
- そして「日本人じゃない」と分かると、その人に握り飯をやらず列から出して殴りつける。
- 電信柱に貼り紙がどんどん増えた。「朝鮮人の非行、井戸に毒を入れて日本人を殺す。窃盗、他の罪悪を犯しているから朝鮮人に注意せよ」という内容。
- 自分は慣れた日本語を使ってたからやり過ごせたが、労働者が多くやられた。
- 戒厳令。高円寺にいた留学生17人が竹林の草花の上で、余震があって家に帰れないので野原で過ごしていた。
- 「やられる時は一緒にやられよう」。9月7日から8日の出来事。合宿的な気持ちになっていた。
- 遠くから青年団の声。「朝鮮人を殺せ」。白い服で逃げる人を竹槍を持って追いかける人。白い犬さえも殺していた、白だから。
- 電信隊に軍が駐屯。7、8人の軍人がやってきた。「君たち朝鮮人だろう。毒薬入れたことがあるか」。
- 「やってません」と答えると、何人か殴られた。住んでいた家に軍人を案内した。
- 人道主義、有島武郎の小説、白いカバーの赤い表紙の本(カインの末裔)。これを読んでるかと聞かれ、殴りつけられた。
- 「共産党だろう」と言われ、銃剣を突きつけられた。中野電信隊へ、馬小屋に馬と一緒に入れられた。
- 「保護するために連れてきた」と言われたが、出ると、馬小屋の方が良かったのではないかと思うくらい物騒だった。
- ただ殺されるだけなのは嫌だという気持ちになった。
- 指揮階級の人、説得力のある人が一人現れた。「玉と石を混合してしまいました」。
- 朝鮮の人でも労働者が一番犠牲になった。服、言葉、朝鮮の匂いで分かると言われた。
- 1985年に西崎氏と矢野氏がホテルでチャリティコンサートに招待された際、Kさんが作った「半月(パルダル)」の合唱を聴いた。
4人目の証言者:Iさん(元学生)
- 肉体的に痛めつけられた。数学が得意だったが、1923年にひどく日本人に殴られて別人になってしまった。
- 石段も上がれないくらい腰が痛い。
- 1923年9月、雑司ヶ谷で捕まって連れて行かれた。東亜日報に地下足を包んでいた。「鉄砲」の文字が新聞に書かれていた。
- 「独立軍だな」と殴られ、「警察署へ行こう」と大曲にある警察署へ。
- 「今日殺す、明日殺す」など毎日殺すの話ばかり。半分死んだ人を連れてくる。
- 1週間して「帰りたければ帰れ」と言われた。道がわからないけど聞けない。
- 近くの醤油屋の娘に「ここから池袋の長崎村に行くには」と聞いた。教えてくれたが、少し行った時に「あそこに朝鮮人が」と後ろから叫ばれた。
- 交番に入ってお巡りさんに「助けてくれ」と言った。自警団が来て「自警団に渡せ」と言われて殴られた。
- 一人の自警団が引き連れてくれ、地元の自警団に保護された。村の人たち、青年たちが安全に連れて行ってくれた。
- 青年団が「良い人たちだから見逃してくれ」と言ってくれた。村に帰るとお嬢さんたちが風呂などを沸かしてくれた。10日間くらい村にいた。
- 一番悪いのは大塚警察署。「安全だから行け」と言ったお巡りさんがいた。夜になってから大塚署から「帰れ」と言われた。
- 朝鮮に戻って学校の先生になった。学生が後ろを通ると、その足音で自警団のトラウマが蘇る。これが20年続いた。
5人目の証言者:Nさん(女性・画家、画学生)
- 当時は珍しかった女性の画学生。本郷の高級下宿に夫と一緒にいた。宿の主人が匿ってくれた。
- 震災が起きた時すぐに和服に着替えた。
- 青年団が「朝鮮人を殺したら『アボジ(お父さん)、アボジ』と言っていた」という声が聞こえた。
- また、「女性のお腹を刺したら『アボジ』と言っていた。『アボジ』とは何かと笑いながら言っていた。
- 下宿の主人が奥の部屋に隠してくれた。高級下宿にいたから助かった。
- 「外に出ると危険だからとお金をくれたら缶詰を買ってきてあげる」と言われ、買ってもらったイワシ、キャベツの缶詰を泣きながら食べた。
- 地震の瞬間は韓服(カンプク)を着ていたが、すぐに和服に着替えた。韓服を着ている人は殺された。
- 旦那さんが「すぐに着替えろ」と言った。労働者の奥さんはみんな韓服で殺された。
6人目の証言者:Cさん
- 1970年「コリア評論」などに本が出ている人。在日韓国キリスト教青年会の理事。
- 長崎村の家に行く途中、娘と共に連行された。犠牲者を調査する団体のリーダー。
- 9月4日、板橋警察署・警視庁でA総監に会うと「すまない」と言われた。
- 9月4日に軍で帰されるが、自警団だらけ。パトカーに乗っていても尾行される。
- 一緒にいた警官が「仮勾留です」と言った。「保護してます」と言ったら殺されていただろう。
- 演舞場にて、A総監は「『流言は本当ではない』ということが報告された」と言った。
- A総監「すまない、流言飛語が流行って不幸な事件が起きてしまった。事実でないことを作って流行らせた責任がある」。
- 警官を一人連れて自動車で送ってくれた。100メートル間隔で自警団、軍人、青年団が立っていた。
- 大塚仲町、自警団が棍棒を持っていた。「殺せ、引き出せ」。警官が「警視庁です」と言って、幸い逃げることができた。
- 演舞場には握り飯があった。3人の竹槍を持った青年が演舞場へ。
- 警官の前で食事していたら「この人たちは勾留ですか」と聞かれ、警官が「勾留です、仮勾留です」と言った。「保護」だと言ってたら警官もろとも殺されてただろう。
- 約1ヶ月仮勾留されていた。所長の考えによって助かった。労働者が多かった。植民地で、国がなかったから殺されるしかなかった。
まとめ
これまで多数の文献を読み込んできましたが、実際の録音から聞こえてくる「声」には、文字とは全く別のリアリティがありました。
文章であればスラスラと読めてしまう凄惨な内容も、実際の被験者の言葉は、当時のトラウマを昨日のことのように思い出し、詰まり、うまく話せない様子が伝わってきます。今回の証言録音を聞いて、事件のリアリティが圧倒的な重さで迫ってきました。
関連書籍
【増補百年版】関東大震災朝鮮人虐殺の記録 -東京地区別1100の証言-



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