日々の生活や仕事の中で、「自分の佇まい(たたずまい)」について意識したことはありますか?
最近、私が特に気をつけて見直している習慣があります。
それは、「腕組み」と、座っているときの「足組み」をしないということです。
きっかけは、ふとした瞬間に自分の姿勢を客観視したことでした。
腕を組んだり、足を組んだりする姿勢は、身体にとっては筋肉が休まって「楽」な状態です。しかし、それを他人の目から見たとき、自分が思っている以上に「偉そう」に見えたり、どこかみっともなく映ったりしているのではないか、と気づいたのです。
特に、若い世代や学生たちの前に立つときは、この姿勢を絶対にしないよう、強く意識しています。
年齢とともに、自動的に帯びてしまう「権威性」
自分自身としては、20代の頃から中身は何も変わっていない、ただのグラフィックデザイナーのつもりです。偉くなりたいわけでも、壁を作りたいわけでもありません。
しかし、年下の人や学生たちから見れば、私の「年齢」や「キャリア」というフィルターが通るだけで、実際がどうかは別として、そこに自然と「権威性(ちょっと近寄りがたい、偉い人)」が帯びてきてしまいます。若い頃、自分が年上のクリエイターに対して無条件に緊張してしまったのを思い出すと、その感覚はよく分かります。
そんな「ただでさえ緊張感を与えやすい状態」の大人が、さらに腕を組んで座っていたらどう見えるでしょうか。
「腕を組む」という行為は、海外では「拒絶」や「警戒」のサインとして受け取られることもあるそうです。心理的にも、自分の胸元を隠すことで「私は心を閉ざしています」「これ以上踏み込まないでください」というバリア(心の壁)を、無意識に相手に突きつけてしまうことになります。
ただ身体が楽だからとやっているポーズが、若い人たちにとっては「話しかけるなという威圧」に翻訳されてしまう。これは、教える立場としても、一人の大人としても、非常に損なことだと感じました。
物理的なバリアを、具体的なアクションで「引き算」する
デザイナーの仕事は、情報の障壁を取り除き、相手に心地よくメッセージを伝えることです。そうであるならば、自分の佇まい(ボディランゲージ)もまた、一種の「コミュニケーションのデザイン」ではないでしょうか。
そこで私は、腕組みというバリアを「引き算」するだけでなく、もう一歩進めて、ある具体的なアクションを意識するようになりました。
それは、「手を開いて、相手に手のひらを見せるようにする」ということです。
対話をしているとき、デスクに置いた手を開き、自然と手のひらが相手から見えるようなポジションを意識してみる。ポケットに手を突っ込んだり、拳を握ったりする代わりに、オープンな状態を保つ。
心理学の世界でも、手のひらを見せる(オープン・パーム)という行為は、「私は武器を持っていません」「あなたを歓迎しています」という、最上級の信頼と受け入れのサインとされています。
「話しかけやすい空気」をデザインしていく
実際にこれを意識するようになってから、学生たちや若いクライアントとの空気感が、少し柔らかくなったような実感があります。
「この人なら、今ちょっと質問しても大丈夫そうだな」
「怖い先生じゃなくて、フラットに話を聞いてくれそうだな」
そんな風に、相手の緊張のハードルを少しだけ下げてあげること。それだけで、彼らの中からぽろっと本音や、面白い質問、あるいは仕事の相談が引き出しやすくなります。
歳を重ねるほど、私たちは自分の見え方に無頓着になってしまいがちです。
けれど、年齢という名の「目に見えない権威」をままとってしまわないために、大人は意図的に、威圧感を引き算していかなければならないのだと思います。
完璧にいつも美しい姿勢でいる必要はありません。
ただ、「今、自分は目の前の人にどう見えているだろう?」と、ほんの少し客観的な視点(デザインの視点)を持ってみる。
今日も手を開いて、フラットで風通しのいい心のまま、目の前の人と向き合っていきたいなと思います。


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