斎藤幸平さんによる著作『人新世の「資本論」』は非常に考えさせられる本でした。そして、続編である『人新世の「黙示録」』をようやく読み終えました。

一言で言うなら、「あまりにも壮大すぎて、一度読んだだけでは感想を言葉にするのが難しい」。それが率直な第一印象です。
前作は「資本主義がもたらす環境危機」などの現状分析の要素が強かったように思いますが、今作はより一歩踏み込んで、著者からの具体的な「提案」や未来への選択肢が増えている印象を受けました。
難解な部分も多く、決してスラスラと読める本ではありません。それでも、読み終えたあとには「少しだけ世界の見え方が変わり、賢くなった気がする」、そんな深く重たい余韻が残る一冊でした。
前作の感想 👉️ 読書感想|『人新世の「資本論」』を読んで。デジタルデトックスの先にある、私が知りたかった「これからの豊かさ」
なかでも、日頃からデジタルデバイスやシステムと向き合い続けている「デザイナー」という職業の私にとって、本書で語られる「テクノファシズム」という言葉は、驚くほど鋭く心に刺さったのです。
夢見た「ひみつ道具」の未来と、比例しない幸福度
私たちが子供の頃、インターネットやスマートフォン、AIなんてものは、ドラえもんのポケットから出てくる「未来のフィクション(ひみつ道具)」でしかありませんでした。
しかし現在、それらは当たり前のように庶民の手に届く現実のものとなっています。
技術は、あの頃想像もつかないほど発展した。
なのに不思議なことに、「技術の進歩の度合いと、私たちの幸福度はまったく比例していない」ように感じられてなりません。
むしろ、便利さと引き換えに、私たちは目に見えない大きなシステムに支配され、追いつめられているような感覚さえあります。
毎月、クレジットカードから引き落とされる多額のサブスクリプションの明細画面を見つめるとき、ふと暗澹(あんたん)とした気持ちになることがあります。
「私は一生、こうしてGAFAM(巨大IT企業)に税金のようなお金を払い続け、彼らのシステムの手のひらの上で生かされていくのだろうか……」と。
失われた「ごった煮のワクワク」と、テクノファシズムの足音
本書で考察されている「テクノファシズム」を、インターネットの歴史を振り返りながら考えると、さらに腑に落ちます。
かつて、土地や石油といった「現物の資源」を独占した石油王やコンツェルンが世界を制覇していた時代がありました。しかし現在は、インターネット空間という「デジタルの資源」を独占したプラットフォーム企業が世界を牛耳っています。彼らはネット上のリソースをあえて「希少化」し、独占することで莫大な収益を得ているのです。
インターネットが勃興したばかりの黎明期、そこには形容しがたいワクワク感がありました。
「誰もが、自分の個人的でマニアックな想いを世界に向けてタダで発信できる」
「世界中に、自分と同じようなおかしなことを考えている人がこんなにいたんだ」
そんな、ルールも統制もない「ごった煮」の空間だからこそ、私たちは自由でいられました。
しかし、今はどうでしょう。
ブログを誰かに読んでもらうためには、Googleのアルゴリズムに必死に媚びを売らなければなりません。X(旧Twitter)で140字以上の深い思考を書き残そうとすれば課金を迫られます。
お気に入りのYouTuberが、運営側の気まぐれやアルゴリズムのさじ加減一つで、数千本あった過去の動画ごと一瞬でアカウントBANされる様子を何度も目にしてきました。
「好きなことで、生きていく」
その自由な響きの裏側で、私たちは命綱を巨大プラットフォームに完全に握られている。これが、本書の指摘する「テクノファシズム」のリアルな姿なのだと痛感します。とにかく数字を追い求め、拡大を強制されるシステム。そこには、私たちがかつて夢見た自由なインターネットはありません。
資本主義の真っ只中で、デザイナーの私にできること
「暗黒社会主義」という、これまた強烈なインパクトを持つ著者の提案を読みながら、私は考え込んでしまいました。
私はグラフィックデザイナーです。企業の販促をお手伝いしたり、モノを消費してもらうためのデザインを作ったりと、言ってみれば「資本主義のサイクル」の真っ只中で日々の糧を得ています。システムに文句を言いながらも、そのシステムのおかげで食べている。そんな矛盾を抱える自分に、一体何ができるのだろうか、と。
しかし、本書を読み進めるうちに、私がこれまで「当たり前」だと思ってやってきた個人的な暮らしの選択が、実はこのシステムに対する小さな抵抗(オルタナティブ)になり得るのではないか、と思えてきたのです。
「散歩」と「電車移動」という静かな選択
私の趣味は散歩です。移動も車ではなく、電車や徒歩がメイン。
移動すること自体に大金を使わず、ガソリンを燃やしてCO2を撒き散らすこともない。ただ街を歩き、季節の匂いを嗅ぎ、思索にふけること。
これは、本書のエコロジカルな視点に照らし合わせても、非常に「良いおこない」であり、消費主義のサイクルから一時的に脱出する時間になっていると感じます。
無駄を作らない「自炊」
私は料理(自炊)が好きです。
外食や出来合いの惣菜に頼りすぎず、自分で食材を選び、食べる分だけを丁寧に作る。不必要な量を作らない自炊は、食品ロスや過剰包装の削減にも繋がり、環境負荷を抑える生活の基本です。
手製本の「アーティストブック制作」
個人的な表現活動として行っているアーティストブック制作。
これは完全に「受注生産」であり、機械による大量印刷ではなく、自分の手を動かして一冊一冊仕上げる「手製本」です。必要な人に、必要な分だけを届ける。これは、数字の拡大や効率性ばかりを追い求める資本主義のものづくりに対する、デザイナーとしてのささやかなカウンターパンチなのかもしれません。
これまで何気なく、当たり前の日常としてやってきた自分の行動を、「暗黒社会主義」や「脱成長」といった本書の視点を通すことで、改めてあたたかく肯定し、内省することができました。
おわりに:一番のファンタジー
本書を本当の意味で深く理解するためには、いずれマルクスの原著などにも挑戦しなければならないな、と知的な刺激を受けています。
ですが、そもそも私がこの本を手に取った根本的なきっかけは、著者である斎藤幸平さんと、編集者である箕輪厚介さんのメディア(ReHacQ)でのユニークな絡みに興味を持ったからでした。ぜひ、またお二人の共演が見たいです。
斎藤さんは、自他共に認めるゴリゴリの左派。
片や箕輪さんは、激しいビジネスの世界で圧倒的な成果を上げ続ける、まさに『資本主義の申し子』のような存在。
この水と油のようなお二人が、実は「同じ高校のサッカー部の先輩と後輩」であり、今もなお楽しそうにプロレス(議論)を繰り広げている。
巨大な思想の対立や、冷徹なプラットフォームの支配を描いた本書とはまた異なり、私にとってはこのお二人の「個人的なつながりと、楽しそうな関係性」こそが、最もファンタジックで、そして一番あたたかい希望のように思えてならないのです。
システムに命綱を握られる世界だからこそ、私たちは足元の暮らしを愛し、顔の見える人間関係を大切にして生きていきたい。そんなことを、散歩の途中で考えています。



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