小説感想|『世界99』村田沙耶香——「本当の自分」の不在と、日常に潜む歪みなき差別意識

Book

村田沙耶香さんの小説『世界99』をAudibleで聴きました。

『世界99』村田沙耶香/小説版表紙

本のイラストを初めて目にしたとき、「ファンタジー系の物語なのかな?」と勝手にイメージして、少し敬遠していました。

しかし、実際にAudible(オーディブル)で再生ボタンを押してみると、そこにあったのはSF的な要素を含みつつも、恐ろしいほどにリアルな現代の人間関係と、私たちの内面をえぐるような描写の連続でした。

結果として、通勤時間やデザインの手を動かす作業の時間をすべて使い、上下巻・約24時間分の長編を一気に完走してしまいました。

今回は、村田沙耶香さんの『世界99』を耳で浴びるように聴き終えた中で、特に心に刺さった視点や「本当の自分」という存在についての考察を、備忘録として残しておきたいと思います。

上下巻で変化するトーンと、「どこにでもいるクズ男」のリアリティ

物語は上下巻というかなりのボリュームですが、上巻と下巻で受ける印象が大きく異なります。

上巻はとにかく展開がスピーディーで、刺激的な出来事が次々と起こり、疾走感を持って物語に引き込まれます。一方で下巻に入ると、主人公の空子が大人になっていることもあり、作品全体の基本トーンはどこか穏やかで静かな空気感へと変化していきます。この温度感のグラデーションが見事でした。

特に上巻で印象的だったのは、空子の周りに現れる男性たちの描き方です。ひたすら「クズ」な行動や言動を繰り返す彼らですが、決して浮世離れした悪人として描かれているわけではありません。

「こういう人、どこにでもいそうだな……」

そう納得させられる絶妙なリアリティがあります。そして恐ろしいのは、彼らを観察しながら「自分も客観的に見たら、無意識のうちに同じような愚かな行動をしてしまっているかもしれない」と、急に背筋が寒くなるような感覚に襲われることです。著者の人間観察の鋭さに、序盤からすっかり冷や汗をかかされました。

タイトル『世界99』の意味——「本当の自分」なんて、どこにもない

読み進める(聴き進める)中でずっと気になっていたのが、タイトルである『世界99』の意味でした。物語を追ううちに、主人公の空子が置かれた環境やコミュニティに応じて、全く異なる「自分」を作り上げている描写に気づきます。

つまり、彼女の中に存在する無数のペルソナ(自分)こそが、「たくさんの世界がある」ということを表現しているのだと納得がいきました。

空子自身も、「本当の自分」などという固定的で確かなものは存在しないことを自覚しています。

この感覚には、強く共感させられました。私自身も、職場、友人、あるいは仕事のクライアントなど、関わる相手や場所が変われば別人のようなテンションや人格になっていることがあります。

「本当の自分とは何か?」と考え始めると思考の迷宮にはまってしまいますが、人は誰しも、いくつもの「世界」を切り替えながら生きているのかもしれません。

ベタな「友情」に逃げない、大人同士の合理的な同居生活

物語の中でとても面白く、印象に残っているのが、空子と白藤さんの二人暮らしの空気感です。

フィクションの世界で女性同士の同居というと、「何でも分かり合える大親友!」といった感動的な距離感で描かれることが多いイメージがあります。しかし、本作の二人は違います。

若い頃に決定的な決裂を経験しており、大人になって再会してからも、価値観にはかなりのズレがあります。それでも彼女たちは、金銭面や社会的立場といった現実的な理由から、あえて「一緒に暮らす」という選択をしています。

ベタな情に流されず、ドライでありながらもお互いの利害や現実を見据えて距離を保つこの同居生活には、大人の人間関係における非常に生々しいリアリティを感じました。

ハッとさせられた、著者ならではの鋭すぎる2つの視点

物語の重要な局面で、村田沙耶香さんならではの切り口が鋭く刺さるシーンが2つありました。

差別についての音ちゃんの言葉

作品の世界で差別されている「ラロロリン人」であり、自身もラロロリンキャリアである音ちゃんが放つ、次のような発言が深く心に残っています。

「一つでも差別を受けてる人は、自分が他の人にどんな差別意識を持っていても気づかない。」

自分が被害者であるという意識が強いとき、人は無意識のうちに自分が他者を加害・差別している可能性に対して盲目になってしまう。この言葉は、私自身も日頃の社会や人間関係の中で常々感じていた違和感そのものであり、言葉として突きつけられたような重みがありました。

クライマックスの出産シーンでの「思わぬ感情のシンクロ」

物語のクライマックス、ピョコルン「ピョール」の出産シーン。

非常に精細でドラマチックな筆致で描かれていくのですが、私自身は男性で子供もいないため、読みながら正直なところ「良いシーンなんだけど、こういう出産シーンってあまり共感できないから長く感じるなぁ……」と思ってしまっていました。

するとまさにその瞬間、作中で主人公の空子のモノローグとして、「早く終わらないかなぁ」という言葉が飛び出したのです。

「そんなのありなんだ!?」と驚くと同時に、読者のメタ的な感情すらも見透かして物語に組み込んでしまう著者の手腕に、思わず唸ってしまいました。

【Audible体験】声の演じ分けと、音ちゃんの「天真爛漫な不気味さ」

今回、Audibleで聴いたことも体験として非常に大きかったです。特にIllustratorでパスを引くような、手を動かすデザイン作業の伴走BGMとして聴くのに最高の没入感でした。

ナレーターの方の演じ分けも素晴らしかったのですが、中でも圧倒的だったのが「音ちゃん」の声です。

空子以上に自分自身を巧みに使い分けて生きている音ちゃんですが、ナレーションの声は非常に明るく、天真爛漫に聴こえます。しかし、その明るさの裏にある「底知れない不気味さ」が声のトーンからひしひしと伝わってきて、彼女が喋るたびにゾッとするような感覚を覚えました。

紙の本で文字として読むのとはまた一味違う、「音」だからこそ立ち現れる生々しさと不穏さは、Audibleならではの極上の体験でした。

おわりに:いくつもの世界を抱えて生きていく

「ファンタジーなのかな」という第一印象から始まった『世界99』との出会いでしたが、最終的には自分自身の人間関係や、自分の中に存在する多面性について深く見つめ直すきっかけとなりました。

「本当の自分」なんていう一つの正解を探す必要はなくて、関わる人や場所に応じてコロコロと変わる「99の世界」を抱えたまま生きていけばいい。

長編を聴き終えた後は、強烈な人間描写に圧倒されつつも、どこか心が軽くなるような余韻が残りました。デザイン作業の合間にじっくりと物語に浸りたい方、人間のリアルな心理描写に触れたい方に、ぜひおすすめしたい一冊です。

コメント

タイトルとURLをコピーしました