アート批評において「幼稚」「稚拙」といった言葉を使う事は建設的な批評と云えるのだろうか

以前、とあるレビューを、取り組み始めたばかりの作品を持って受けたました。

その際レビュワーの方から「とても稚拙な表現ですね」や「幼稚ですね」といった言葉を受けました。

もちろん、取り組んで1ヵ月くらいの作品だったので、自分でも内容が深まっていないという認識があったので厳しい意見をもらうかも、とは感じていたのですが、批判的な意味で「稚拙」「幼稚」という言葉を使われたことは結構心に引っかかりました。

アート批評において「稚拙」という言葉を使うことは建設的で論理的な批評と云えるのでしょうか。

はじめに、「稚拙」という言葉の意味を調べてみました。

ち‐せつ【稚拙】
[名・形動]幼稚で未熟なこと。また、そのさま。「—な文章」

[派生] ちせつさ[名]

https://www.weblio.jp/content/%E7%A8%9A%E6%8B%99

「幼稚」の意味はこちら。

よう‐ち〔エウ‐〕【幼稚】
[名・形動]

1 年齢がおさないこと。子供であること。

2 考え方・やり方などが未発達なこと。子供っぽいこと。また、そのさま。「—なアイデア」

[派生] ようちさ[名]

https://www.weblio.jp/content/%E5%B9%BC%E7%A8%9A

幼稚で未熟である(表現における未熟の定義とは?)ことや子供っぽいということは価値が無いのでしょうか。

アートの世界においては、子供が描いた絵などが「子供ならではの斬新で自由な表現だ」という言葉で褒められる事があります。

近年の有名な話だと小学生が夏休みに描いたピクセルアートがNFTに出品され、300万円以上の価値がついています。

彼の表現は「稚拙」でしょうか?価値がついたから(稚拙と反対の意味としての)「高尚」なのでしょうか。

では、子供が「幼稚」な作品を作るのは褒められるべきものと考えた場合、大人が「幼稚」な作品を作ることは批判されるべきことなのでしょうか。だとしたら、それは何故でしょうか。

また、「幼稚」「稚拙」なアートと「高尚」「巧妙」なアートとの線引きはどこにあるのでしょうか。例えば、この作品からこの作品までは「幼稚」、この作品以降は「高尚」と明確に定義ができるものなのでしょうか。

仮に「高尚」なアート作品を、描写力や技巧などの「技術がある」と考えた場合に大人が作る「技術がない(=幼稚)」なアート作品は、アートとして価値が無いのでしょうか。

上の記事は、手足が不自由な方が口や絵で描いた絵画作品についてのものです。

こういった方々の作品を有料で貸し出すサービスをしているようです。

つまり、一般的な意味でのテクニックで劣るところがあってもアート作品としての価値は生まれていることになります。

また、技術のある、ない、がアートの価値を決めるというのであれば、ジャクソン・ポロックのアクションペインティングや

マルセル・デュシャンの泉などはどうなってしまうのでしょうか。

仮定の話にはなってしまいますが、アート批評をする際に「稚拙」「幼稚」という言葉を使う方が、評価される以前のポロックやデュシャンの作品を見て、価値を認められるのかどうか、非常に気になります。

以上の考察を通して、私としてはアート批評における「幼稚」「稚拙」といった言葉はそうでは無い作品との違いを明確に述べることが難しい事からも「主観的」で「論理性を欠いた」言葉だと感じます。

もちろん、アートを主観的に見ることは悪い事ではないと思いますが、言葉を扱う職業をされているのであればもう少し論理的で説得力のある言葉を使っても良いのでは無いかと感じました。

補足)

私は、グラフィックデザインの仕事をしているので、ターゲットや売りたい相手が明確に決まっている場合は、「稚拙」「幼稚」という批判は機能すると考えます。

例えば、40代の大人に買ってもらいたい商品のデザインをする際に、小学生の子供が好きそうなデザインを提案した場合、「幼稚」という批判は機能すると感じます。

ですが、「既存の概念にとらわれない」といった事が評価されるアートにおいて、仮に大人に買って欲しかったとしても大人向け?の技術を使う事が正解なのでしょうか。

など、どうしても考えが巡ってしまいます。

Header: Gerd AltmannによるPixabayからの画像

投稿者: Shu Watanabe

Graphic Designer.

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