「浪人までして、結局第一志望には届かなかった」
20年前の春、私はそんな挫折感の中にいました。
当時、私が志望していたのは多摩美術大学のグラフィックデザイン学科や、武蔵野美術大学の視覚伝達デザイン学科。しかし、結果は不合格。一浪して合格を手にできたのは、正直に言えば「滑り止め」として受けた基礎デザイン学科(基礎デ)でした。
今回は、当時の私が突きつけられた「技術の差」の現実と、そこからどうキャリアを組み立てたのか、その本音をお話しします。
1. 「圧倒的な技術」という高い壁
予備校での一浪生活。自分なりに必死に描いてきましたが、試験が近づくにつれ、ある残酷な現実に気づかされました。多摩グラや視伝を狙う上位勢と自分との間には、一浪程度では埋められない「圧倒的な技術レベルの差」があったのです。
彼らの絵には、どんな状況でも外さない「打率の高さ」がありました。
一方で私は、5課題に1回は褒められる快作が出せても、本番のようなプレッシャー下ではその「ムラ」を制御しきれなかった。本試験で力を発揮できなかったのは、運ではなく、純粋な「基礎体力の不足」だったと今なら分析できます。
2. 「滑り止め」だった基礎デという選択
第一志望に落ちた喪失感のまま進んだ基礎デ。しかし、そこは単なる「代わりの場所」ではありませんでした。
基礎デの入試には「論文」があります。実技の圧倒的な壁にぶち当たっていた私にとって、自分の考えを論理的に組み立てる論文試験は、唯一「自分の土俵」で戦える場所でした。
実技のムラを、思考と記述で補完する。
この戦略的な選択がなければ、私は美大生にすらなれていなかったかもしれません。
3. 20年後の答え合わせ
あれから20年以上が経ち、フリーランスのデザイナー、そして講師として働いている今、はっきりと言えることがあります。
「どの学科に入ったか」よりも、「入った場所でどう考えたか」がプロとしての自分を作った、ということです。
基礎デで学んだ「物事の本質を問う姿勢」や「論理的なデザインの組み立て」は、皮肉にも、当時の私が憧れた「圧倒的な描写力」以上に、今の私の強力な武器になっています。
まとめ
美大受験は過酷です。どれだけ努力しても、第一志望の門が閉ざされることはあります。
でも、描写の技術で勝てなかったのなら、思考で勝てばいい。今持っている自分の武器を最大限に活かせる場所で、プロへのルートを再設計すればいい。
20年前、第一志望に落ちた私が今、こうしてデザイナーとして、講師として立っていることが、その一つのサンプルになれば幸いです。
